スマトラ沖地震から20年:プーケット、津波、慰霊碑、記憶の継承とは?プーケット大津波20年、慰霊碑と記憶の継承、観光と防災
2004年の津波で甚大な被害を受けたプーケット。犠牲者を悼む日本人主導の慰霊碑「久遠の凪を願う碑」は、平和への願いを込めてタイの人々と共に守られています。震災の記憶を風化させず、防災意識を高め、観光と両立した街づくりを進めるプーケットの今と未来を見つめます。
💡 2004年のスマトラ沖地震による津波は、タイのプーケットにも甚大な被害をもたらしました。
💡 津波の犠牲者を悼む慰霊碑がプーケットに建立され、記憶の継承が図られています。
💡 プーケットは、観光と防災の両立を目指し、様々な対策に取り組んでいます。
それでは、2004年のスマトラ沖地震によるプーケットの津波被害とその後の復興、そして記憶の継承について、深く掘り下げていきましょう。
2004年の悲劇:スマトラ沖地震とプーケットの傷跡
プーケット島を襲った大津波、何人の日本人犠牲者が?
28人の日本人観光客が犠牲となりました。
2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震は、タイのプーケットにも大きな爪痕を残しました。
この章では、その悲劇の詳細を振り返ります。
公開日:2020/12/26

✅ 2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震による津波はタイにも到達し、5,395人が死亡、8,457人が負傷、2,932人が行方不明となった。
✅ タイでは津波の警報システムが未整備であったため、多くの人が逃げ遅れ、年末年始の旅行シーズンだったこともあり、多くの外国人観光客も犠牲となった。
✅ 「スマトラ島沖地震」を教訓に、タイでは津波警報システムや避難経路の整備、避難訓練などが実施されるようになった。
さらに読む ⇒タイランドハイパーリンクス:出典/画像元: https://www.thaich.net/news/20201226hs.htm本当に恐ろしい出来事でしたね。
あの時、警報システムがもっと早く機能していれば、救えた命もあったはずです。
改めて、防災対策の重要性を感じます。
2004年12月26日、スマトラ島沖地震による大津波がタイ南部を襲い、プーケット島も甚大な被害を受けました。
この自然災害により、タイ全体で5395人が死亡、8457人が負傷、2932人が行方不明となり、その中には28人もの日本人観光客も犠牲となりました。
地震発生から津波到達までの間に警報が発せられなかったことが、被害を拡大させた要因の一つでした。
年末年始の旅行シーズンと重なったこともあり、多くの外国人観光客が被災しました。
2004年の津波は、僕が初めて海外旅行に行った年だったんです。ニュースで見て、本当に衝撃を受けました。旅行先の安全について、改めて考えさせられました。
復興への道:慰霊碑に込められた願い
プーケットの慰霊碑、何のためにある?
犠牲者追悼と平和を願う、旅の安全祈願。
プーケットに建立された慰霊碑は、単なる追悼の場ではなく、未来への希望を象徴しています。
次はこの慰霊碑について詳しく見ていきましょう。

✅ 2004年のスマトラ沖地震の慰霊碑がタイ・プーケットにあり、被災20年の節目に慰霊式が行われた。
✅ 慰霊碑は日本人を中心に建てられ、タイ人の協力で維持されてきたが、遺族の高齢化やコロナ禍による式の途絶など、記憶の継承に課題が出ている。
✅ 日本大使館も協力し、記憶を風化させない努力をしていくことが語られた。
さらに読む ⇒沖縄タイムス+プラス沖縄の最新ニュースサイト沖縄タイムス社沖縄タイムス+プラス出典/画像元: https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1535472慰霊碑の建立や維持に、多くの方々が関わっていることに心を打たれました。
様々な人々の想いが込められた場所なのですね。
津波の爪痕は、プーケットの美しいビーチにも深く刻まれました。
カマラビーチには津波危険ゾーンや避難ルートを示す看板が設置され、その悲劇を物語っています。
そのカマラビーチには、犠牲者を悼み、恒久的な平和を願うための慰霊碑が建立されました。
プーケット日本人会が中心となり建立した「久遠の凪を願う碑」は、漢字でその思いが刻まれ、献花や千羽鶴が供えられています。
この慰霊碑は、単なる追悼の場にとどまらず、旅の安全を祈る場としても機能し、宗教や国籍に関わらず誰でも訪れることができます。
さらに、カマラビーチ公園にも津波慰霊碑があり、津波を表すオブジェも存在しています。
2007年には慰霊祭が開催され、多くの人々が参列し、犠牲者を追悼しました。
プーケット日本人会は、日タイ修好120周年記念を機に、活気を取り戻すための努力を続けています。
慰霊碑が、宗教や国籍に関わらず誰でも訪れることができる場所というのは素晴らしいですね。旅の安全を祈る場としての役割も担っているなんて、とても意義深いと思います。
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20年目のプーケット。津波の記憶を継承し、慰霊碑を守る人々の想い。観光と防災の両立、平和への願いを込めて。