熊野速玉大社ガイド:創建から現代まで、見どころとご利益とは?熊野三山の一つ、熊野速玉大社の魅力に迫る
熊野速玉大社は、縁結びのご利益で知られる熊野三山の総本宮。神倉神社のゴトビキ岩から遷座し、美しい社殿と神宝が魅力。節分祭や特別授与品も豊富で、心癒される参拝体験を。良き縁を願う旅へ。
💡 熊野速玉大社の歴史や創建、御祭神について解説します。
💡 熊野速玉大社の境内や授与品、節分祭の様子をご紹介します。
💡 熊野速玉大社がもたらすご利益や、参拝のポイントをまとめます。
それでは、熊野速玉大社の魅力に迫る旅へと出発しましょう。
熊野速玉大社の始まり
熊野速玉大社の御利益は?
縁結び!夫婦神が祀られています。
熊野速玉大社の始まり、創建の背景や御祭神について解説します。

✅ 熊野速玉大社は、熊野三山の一つであり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録され、神倉山の麓に位置する。
✅ 境内には、手力男神社、八咫烏神社、熊野詣の記念碑、熊野速玉大社参詣曼荼羅、国宝の古神宝類を展示する熊野神宝館などがあり、御神木である推定樹齢1000年のナギの大樹も有名。
✅ 拝殿の奥には主祭神である熊野速玉大神と熊野夫須美大神を祀る速玉宮と結宮が建ち、新宮十二社大権現として十二柱の神々を祀る神殿もある。
さらに読む ⇒熊野速玉大社出典/画像元: http://youyou.main.jp/c5/wakayama/hayatama_shrine.htm熊野速玉大社の歴史は古く、その創建には興味深いエピソードが隠されています。
神倉山に起源を持つという話も興味深いですね。
和歌山県新宮市に鎮座する熊野速玉大社は、熊野三山の一つであり、全国の熊野神社の総本宮として崇敬を集めています。
創建は景行天皇の時代で、最初の降臨地である神倉山に起源を持ち、そこには御神体のゴトビキ岩が鎮座する摂社である神倉神社があります。
熊野速玉大社の御祭神は熊野速玉大神と熊野夫須美大神の夫婦神であり、縁結びのご利益があるとされています。
約二千年前、神倉山から現在地へ遷座し、新宮十二社大権現として崇敬を集めました。
すごいですね!2000年も前に、すでにこのような信仰が根付いていたとは。日本って本当に歴史が深い国ですね!
信仰の発展と広がり
熊野信仰、何が人々を惹きつけた?
現世・来世の救済、そして多くのご利益!
熊野比丘尼による布教活動や、信仰の広がりについてご紹介します。

✅ 熊野比丘尼は、中世から江戸時代にかけて熊野三山の修復資金を集めるため、参詣曼荼羅を使って全国で絵解を行い、熊野三山のPRをした。
✅ 参詣曼荼羅には、熊野観心十界図、那智参詣曼荼羅の旅、熊野本宮参詣曼荼羅などがあり、熊野の霊験や救済伝承、時空を超えた世界観が描かれていた。
✅ 記事では、山本殖生氏によるセミナーの様子や、熊野比丘尼による絵解きの様子が紹介され、著者の熊野に対する興味や、神倉山や花の窟屋神社への関心も述べられている。
さらに読む ⇒出典/画像元: https://from76.exblog.jp/23050252/この記事を読んで、熊野信仰が全国に広まった過程を知ることができました。
熊野比丘尼という存在も興味深いです。
孝謙天皇の時代には「日本第一大霊験所」の勅額を賜り、熊野権現の称号を得ました。
信仰は、衆生の苦しみを癒す薬師如来としての熊野速玉大神、現世利益を授ける千手観音菩薩としての熊野夫須美大神、来世浄土へ導く阿弥陀如来としての家津美御子大神へと発展し、山伏や熊野比丘尼によって全国に広まりました。
中世以降、皇室、公卿、武士だけでなく庶民にも信仰が広がり、過去世救済、現世利益、来世加護を求める「三熊野詣」が盛んになり、「蟻の熊野詣」という諺が生まれるほど賑わいました。
熊野比丘尼の方々の活躍があったからこそ、今の熊野速玉大社があるんですね。当時の人々の信仰心というか、熱意を感じますね。
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熊野速玉大社の神宝や節分祭の様子をご紹介。美しい社殿や特別授与品、吉兆など、心癒される情報が満載!福を呼ぶ授与品も。