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九龍城砦とは?写真や映画で描かれる『東洋の魔窟』の全貌とは?香港九龍城砦:歴史、生活、映画、そして写真

かつて「東洋の魔窟」と恐れられた九龍城砦。法規制なき街は、スラムと犯罪の温床となりながらも、独自のコミュニティを形成。密集したビル群、入り組んだ路地、そこで営まれる生活...写真が捉えたその姿は、今も人々の心を捉えて離さない。取り壊し後も、その異質な魅力は創作の源泉となり、香港映画『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』で鮮やかに蘇る。 映画の背景にある九龍城砦の物語を紐解く。

九龍城砦とは?写真や映画で描かれる『東洋の魔窟』の全貌とは?香港九龍城砦:歴史、生活、映画、そして写真

📘 この記事で分かる事!

💡 九龍城砦は、かつて香港に存在した無法地帯であり、高度な人口密度と独自のコミュニティが形成されていました。

💡 写真家グレッグ・ジラードは、九龍城砦内部の生活を記録し、スラム街の陰に隠れた人々の日常を描き出しました。

💡 2025年公開予定の映画『トワイライト・ウォリアーズ』は、九龍城砦を舞台にしたアクション映画として注目されています。

九龍城砦の歴史的背景と、その後の社会への影響について掘り下げていきましょう。

九龍城砦の形成と無法地帯化

九龍城砦はどのように形成されたのか?

難民流入と不法建築

九龍城砦は、19世紀末に清朝の飛び地となり、その後、中国からの難民流入によりスラム化。

無法地帯として知られるようになりました。

香港日記及建築:一九八七年一月十四日《清拆九龍寨城》

公開日:2013/01/15

香港日記及建築:一九八七年一月十四日《清拆九龍寨城》

✅ 九龍城寨は、南宋時代に建設された歴史ある城塞で、1987年に清拆され、九龍城寨公園として生まれ変わった。

✅ かつては「三不管」と呼ばれる無法地帯となっており、人口過密、犯罪、衛生環境の悪化などが問題視されていた。

✅ 1979年頃から香港警察が介入し治安が改善されたが、中英聯合声明の後、1987年に清拆され、現在は公園として整備されている。

さらに読む ⇒阿群帶路出典/画像元: https://kwantailo.wordpress.com/2013/01/14/%E9%A6%99%E6%B8%AF%E6%97%A5%E8%A8%98%EF%BC%9A%E4%B8%80%E4%B9%9D%E5%85%AB%E4%B8%83%E5%B9%B4%E4%B8%80%E6%9C%88%E5%8D%81%E5%9B%9B%E6%97%A5-%E3%80%8A%E6%B8%85%E6%8B%86%E4%B9%9D%E9%BE%8D%E5%AF%A8%E5%9F%8E/

無法地帯としての九龍城砦は、犯罪と貧困が蔓延し、衛生環境も劣悪でした。

しかし、そこには独自の文化と生活がありました。

19世紀末、清朝時代の九龍寨は、イギリスによる香港周辺の租借地化の中で、なぜか租借地から除外され、清国の飛び地となりました。

その後、中国内戦や文化大革命による難民が流入し、九龍寨城跡地にバラックが次々と建設され、人口が急増しました。

行政による取り壊し計画は何度も浮上しましたが、住民たちは立ち退くことを拒否し、無計画な増築が繰り返され、巨大なスラム街「九龍城砦」が形成されました。

九龍城砦は、法律の空白地帯で建築基準法もないことから、不法建築が横行し、高さも制限なく増築され、14階前後のビルが立ち並ぶようになりました

麻薬、賭博、売春などあらゆる犯罪が横行し、日本のガイドブックには「東洋の魔窟」と記されるほど、危険な場所として知られていました。

「東洋の魔窟」と呼ばれた場所の成り立ちが、よく分かりました。歴史的背景を知ることで、その場所への見方も変わってきますね。

九龍城砦の生活とコミュニティ

九龍城砦ってどんな場所だった?

スラム街

九龍城砦は、密集した建物の中で、独自のコミュニティと様々な生活が営まれていました。

学校や歯科医の存在も興味深いです。

かつて香港に存在した世界有数の巨大スラム街「九龍城」での生活を描いた「」
かつて香港に存在した世界有数の巨大スラム街「九龍城」での生活を描いた「」

✅ 香港の九龍城は、かつて高層ビルが密集し、政府の統治が届かない無法地帯として知られていました。

✅ 犯罪者や売春宿、麻薬の売人が集まる「魔の巣窟」と呼ばれ、映画やゲームの舞台としても有名でしたが、実際には多くの子どもやお年寄りも生活していました。

✅ 九龍城での人々の生活を描いたインフォグラフィック「Life Inside The Kowloon Walled City」が紹介されています。

さらに読む ⇒(ギガジン)出典/画像元: https://gigazine.net/news/20150627-life-inside-kowloon-walled-city/

スラム街でありながら、そこには確かに生活があり、人々が互いに支え合って生きていたことが、インフォグラフィックからも伝わってきます。

九龍城砦は、0.03平方キロメートルの土地に12階建てビルが密集し、3万3000人が暮らすスラム街でした。

住民たちは、狭い空間の中で独自のコミュニティを作り上げていました

学校や美容院、賭博場など、様々な業種が営業していました。

また、歯科医や製麺工場など、生活に欠かせない仕事も存在していました。

住民たちは衛生基準や防火基準など、様々なルールを無視して生活していました。

九龍城砦は、独特な雰囲気を持つスラム街として、写真家や旅行者など、多くの人に注目されてきました。

まるで映画の世界ですね!こんな場所に、本当に人が住んでいたなんて、想像もつきません。貴重な情報、ありがとうございます。

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80年代九龍城砦を捉えた写真と、映画『トワイライト・ウォリアーズ』情報!無法地帯の姿や、監督・俳優のコメントも。日本の漫画愛も必見。