スペースワールド閉園、その栄光と転落、そして未来への展望?北九州の宇宙テーマパーク、スペースワールドの軌跡
宇宙をテーマに、かつて北九州を沸かせたテーマパーク「スペースワールド」。1990年の開業から、世界最速コースター「タイタン」や宇宙博物館で人気を博しましたが、来場者数の減少や経営悪化により2017年に惜しまれつつ閉園。閉園間際の物議を醸した企画「氷の水族館」も。跡地にはイオンモールが建設され、その歴史と教訓は、エンターテイメント業界に何を遺したのか? 閉園までの軌跡を振り返ります。
💡 スペースワールドは、宇宙をテーマにしたアトラクションやイベントで人気を博し、最盛期には年間200万人を超える来場者を記録しました。
💡 1998年の事故や、遊園地需要の低下などにより経営が悪化し、2017年に閉園。跡地は再開発され、新たな商業施設がオープン予定です。
💡 閉園直前の物議を醸した企画や、閉園を惜しむイベントの数々。そして、閉園後の跡地の再開発についても触れていきます。
本日は、北九州市にあった宇宙をテーマとしたテーマパーク、スペースワールドについて、その歴史、魅力、そして閉園までの道のりを詳しく見ていきましょう。
宇宙への夢、スペースワールドの誕生
宇宙テーマパーク、「スペースワールド」の開業年は?
1990年4月22日、新日鐵が設立。
スペースワールドは、1990年に北九州市にオープンした宇宙をテーマとしたテーマパークです。
新日本製鐵の遊休地を活用し、多くの人々を魅了しました。
宇宙開発をテーマにしたアトラクションやイベントなど、様々な試みが行われました。
公開日:2018/06/25

✅ スペースワールドは、新日本製鐵の遊休地を活用し、1990年に宇宙をテーマとしたテーマパークとして開業。当初は宇宙関連のアトラクションが中心だった。
✅ 積極的な投資を行い、世界最速コースター「タイタン」やローラーコースターの神様が設計した「ヴィーナス」などを導入したが、1998年の事故や遊園地需要の低下により来場者数が減少した。
✅ 経営不振によりスペースワールドは一度清算され、その後再出発を目指したが、2017年に閉園した。ユニバーサル・スタジオの誘致に失敗したことも、閉園の背景として影響している可能性がある。
さらに読む ⇒ てすろく旅行記出典/画像元: https://ricebag.net/travelreport/spaceworld-defunct/スペースワールドは、当初は順調な滑り出しを見せましたが、その後の経営状況は変化しました。
様々な要因が重なり、残念ながら閉園という結果になったのは、非常に残念です。
1980年代後半、新日本製鐵(現・日本製鉄)の遊休地を候補地として、ユニバーサル・スタジオの日本進出が検討されましたが、最終的に新日鐵がテーマパーク運営会社を設立し、1990年4月22日に「宇宙」「宇宙開発」をテーマにした「スペースワールド」が開業しました。
当初は最寄り駅からのアクセスに課題がありましたが、1999年にスペースワールド駅が開業することで利便性が向上しました。
宇宙をテーマにした施設として、宇宙飛行士訓練を模した「スペースキャンプ」や宇宙開発の実品展示を行う「宇宙博物館」が人気を集めました。
宇宙をテーマにした施設、面白そうですね!スペースキャンプとか、子供たちが行ったら興奮しそう。アクセスが改善されたのは大きかったでしょうね。
栄光と転落、アトラクションと苦境
スペースワールド衰退の主な原因は?
事故、飽き、需要低下、競合など。
スペースワールドは、数々の人気アトラクションやイベントで賑わいを見せました。
世界最大級のジェットコースターや、宇宙博物館には多くの人が集まりました。
しかし、その栄光の裏には、様々な苦難も存在しました。

✅ 北九州市の遊園地「スペースワールド」は、1990年の開園から2017年の閉園までの27年間、様々なアトラクションやイベントで多くの人々に親しまれた。
✅ 1990年代には、世界最大級のジェットコースター「タイタン」や宇宙博物館のオープン、年間入場者数216万人を記録するなど、人気を博した。
✅ 閉園間際には、ご当地アイドル「すぺわの!」の結成や「日本ハグスポット100選」認定、グランドフィナーレなど、最後まで様々なイベントで賑わいを見せた。
さらに読む ⇒「知りたい・行きたい」をかなえるニュースメディア|ウォーカープラス出典/画像元: https://www.walkerplus.com/article/130047/ジェットコースターやイベントなど、記憶に残るものがたくさんあったんですね。
ピーク時の入場者数はすごい!でも、閉園に追い込まれた原因は、複合的なものだったんですね。
スペースワールドは、世界最速コースター「タイタン」や「ヴィーナス」、「アトラスタワー」などを導入し、アトラクションを拡充しましたが、1998年にはアトラスタワーでの事故が発生し、来場者数減少に転じました。
1997年には年間入場者数216万人を記録しピークを迎えましたが、その後、来場者の飽きや全国的な遊園地需要の低下も重なり、運営は苦境に陥りました。
2005年には民事再生法の適用を申請し、加森観光に運営権が譲渡されました。
晩年には宇宙飛行士学習施設「アストレスタ」を設けるなど、博物館的な性格を強めましたが、少子化、人口減少、レジャーの多様化、ハウステンボスとの競合、施設の陳腐化などにより経営は悪化しました。
タイタン、乗ってみたかったなあ。事故があったのは残念だったけど、それでも多くの人を魅了した遊園地だったんですね。子供が小さい頃に連れて行きたかったな。
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閉園したスペースワールド。最後のイベント、ジェットコースター、ご当地アイドル… 閉園騒動の裏側と、氷漬け魚の企画中止という苦い記憶。跡地は更地となり、未来への希望を繋ぐ。