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児島虎次郎と大原孫三郎、友情と西洋美術の架け橋?児島虎次郎記念館、倉敷美観地区に開館!

近代日本を代表する洋画家・児島虎次郎。大原孫三郎の後援を得て西洋美術を収集し、大原美術館を創設。モネやゴーギャンなど名作を日本に紹介した。児島の生涯と、その情熱が結実した児島虎次郎記念館を紹介。西洋美術、オリエント美術、そして故郷への想いが詰まった、倉敷美観地区の新たな文化拠点へ。

児島虎次郎と大原孫三郎、友情と西洋美術の架け橋?児島虎次郎記念館、倉敷美観地区に開館!

📘 この記事で分かる事!

💡 児島虎次郎は、西洋美術を日本に紹介するため、多くの作品を収集しました。

💡 大原孫三郎は、児島虎次郎の活動を支援し、美術館設立に尽力しました。

💡 児島虎次郎記念館は、児島の作品と収集物を展示し、2025年に再オープンしました。

本日は児島虎次郎と大原孫三郎の関係、そして児島虎次郎記念館について詳しく見ていきましょう。

児島虎次郎と大原孫三郎、友情と芸術への情熱

児島虎次郎は何を通して西洋美術を日本へ紹介?

美術品コレクションと文化交流。

児島虎次郎と大原孫三郎の出会いは、日本の美術史に大きな影響を与えました。

児島は西洋美術に傾倒し、孫三郎はそれを支えました。

その関係性から、大原美術館が誕生しました。

第1回 孫三郎さんと、虎次郎さん。
第1回 孫三郎さんと、虎次郎さん。

✅ 大原美術館は、実業家の大原孫三郎が社会事業の一環として設立した日本初の私立西洋美術館であり、創立当初の建物が現存している。

✅ 美術館設立には、孫三郎の支援を受けヨーロッパに留学した画家、児島虎次郎が大きく関わっており、彼は西洋絵画を日本に紹介することに尽力した。

✅ 孫三郎は元々東洋美術のコレクターであったが、児島虎次郎との出会いにより西洋美術への理解を深め、モネやセザンヌなどの名作を収集し、美術館に展示した。

さらに読む ⇒ほぼ日刊イトイ新聞出典/画像元: https://www.1101.com/n/s/josetu/ohara/2022-02-16.html

児島虎次郎の情熱と大原孫三郎の支援が実を結び、大原美術館という素晴らしい場所が生まれたのですね。

二人の関係性、とても素敵です。

近代日本を代表する洋画家であり美術品収集家であった児島虎次郎は、1881年に岡山県で生まれ、東京美術学校で学びました。

その後、実業家の大原孫三郎の支援を受け、ヨーロッパ留学を経て西洋美術に触れ、その感動を日本にも伝えたいとコレクションを始めました。

児島は、日本に西洋絵画を紹介するため、モネやゴーギャンなどの作品を収集し、大原美術館の礎を築きました。

一方、孫三郎は社会的弱者の救済にも熱心で、児島は孫三郎のパトロンであり、二人は深い友情で結ばれていました。

児島は、生涯で3度のヨーロッパ、4度の中国・朝鮮半島への渡航を通じて絵画修業と収集活動を行い、文化交流者としての側面も持ち合わせていました。

児島は、幼少期から画才を発揮し、東京美術学校で黒田清輝らに師事。

1907年には勧業博覧会で1等賞を受賞し、画壇に華々しくデビューしました。

児島虎次郎はすごい熱意をもって活動していたんですね! 大原孫三郎の支援も素晴らしいです。二人の関係性が羨ましいですね!

美術品収集と大原美術館の誕生

児島の偉業とは?大原美術館に何をもたらした?

西洋美術を日本へ紹介、大原美術館創設に貢献。

大原美術館は、児島虎次郎と大原孫三郎の友情の結晶であり、日本の美術界に貢献しました。

児島虎次郎のコレクションは、今も美術館を彩っています。

モネ、ピサロら世界の名作を堪能 岡山の倉敷が誇る大原美術館
モネ、ピサロら世界の名作を堪能 岡山の倉敷が誇る大原美術館

✅ 大原美術館は、児島虎次郎と大原孫三郎の友情と、日本の美術界の発展を願う想いから生まれた。児島は西洋美術を日本に紹介するため作品収集を行い、孫三郎はそれを支援し、児島の死後、その想いを実現するために美術館を設立した。

✅ 大原美術館には、児島が収集したエル・グレコやモネの作品など、西洋の近代絵画、古代エジプトの文物、東洋陶磁など幅広いコレクションが収蔵されている。これらの作品は、児島の理念と収集活動を反映している。

✅ 大原孫三郎は、世界恐慌下という困難な状況の中、児島の願いを叶えるため美術館建設を実現した。大原美術館は、現在もその創設者の想いを引き継ぎ、多様な作品を展示し続けている。

さらに読む ⇒CREA | クレア ウェブ 好奇心旺盛な女性たちへ出典/画像元: https://crea.bunshun.jp/articles/-/27553

児島虎次郎の作品が、孫三郎の想いとともに、今も多くの人々に感動を与えていると思うと、感慨深いですね。

素晴らしいです。

児島は、大原家の支援を受けて渡欧し、ゲント王立美術学校で印象派の技法を学び帰国後、日本の風土と西洋技法の融合に苦悩しながらも、東洋人としての油彩画を探求するため、中国・朝鮮半島へも足を運びました。

第一次世界大戦後、孫三郎の勧めにより、児島は再びヨーロッパへ渡り、西洋美術作品の収集を始めます。

孫三郎は、児島の収集した作品を日本で公開することの意義を慎重に検討しましたが、最終的に許可しました

児島はモネやマティスらの作品を購入し帰国。

公開展は大きな反響を呼びました。

その後、児島は三度目のヨーロッパでエル・グレコやゴーギャンなどの作品を収集しましたが、47歳の若さで死去。

児島の死後、孫三郎は彼の収集品と作品を公開する美術館の建設を決定し、1930年に大原美術館を開館しました。

大原美術館は、日本初の私立西洋美術館として、日本における西洋美術の歴史を象徴する名作を数多く収蔵しています。

児島が収集した作品は、大原美術館のコレクション形成に大きく貢献し、日本の美術史において重要な役割を果たしています。

児島虎次郎が残したコレクションが、大原美術館の発展に繋がっているんですね! 美術館に行ってみたくなりました!

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児島虎次郎記念館、倉敷美観地区に誕生!洋画家・児島の貴重なコレクションを公開。古代エジプト美術やエル・グレコ、その功績と遺志を今、体感。